2020年4月24日金曜日

ウォークマン

今、ウォークマンを持っている人はどれくらいいるのだろうか。或いは持ってはいても今でもウォークマンで音楽を聴いている人は殆どいないのではないだろうか。今ではすっかりiPhoneで音楽を聴く人がほとんどになってしまったのだと思う。かく言う私も音楽は殆どiPhoneかiPadで聴き、かれこれ2年近くウォークマンに触れてすらいなかった。今日はそんなウォークマンについての話である。


以前、河原で練習している時に中距離の川島さんと会った。お久しぶりですと挨拶を交わし、体操している時に、ふと川島さんの手元に目がいった。川島さんの手元にはかれこれ2年以上触れていない私の持っているのと同じ型のウォークマンがあった。
自分もそのウォークマン持ってますと伝えると、「そうそう、10年前くらいのモデルだよね!フォルダ開いてると昔こんなの聞いてたんだなぁってなってすごい懐かしくなるんだよね」と話していた。

家に帰り、久しぶりにウォークマンを探し出した。テレビ台の戸棚にひっそりとしまわれていた。画面は少し埃を被り2年という時を感じた。電源を入れると無事に起動。少し感慨深い気がしたのと同時に使ってやればよかったなという気持ちが浮かんできた。
フォルダを開くと懐かしい曲の数々、中・高と大会の時に聞いてたプレイリストや受験期に聞いてた曲。何度も口ずさんだ曲…


その日の夜はなぜか寝つけなかった。胸の奥が少し締め付けられるような気持ちがして、少し物寂しい気持ちになって。さっき見つけ出したウォークマンにイヤホンを刺し(最近ではイヤホンを刺すこともなくなりましたね)数年ぶりに「大会」と書かれたプレイリストを再生した。

別に悲しい曲なんて1つも登録してないはずなのに、何故か目の奥が熱くなるような気持ちになった。もう戻ることのない青春の記憶や熱い思いが溢れてきて少し切なくなったと同時に、あの頃の想いや情景が酷く霞んでしか思い出せなくて空くなった。

メロディーは一言一句違わず歌詞を思い出させてくれるのに、どうしてあの日の記憶は運んでくれないのだろう。

ついこの間のことと思っていたものがいつの間にか記憶から思い出に変わってしまっていたのだと感じた。


七大戦が中止になった。きっとこのことも数年後、或いは数十年後、時の流れの中で洗練され、思い出に変わっているのだろう。悔しくないと言えば嘘になる。ただ、熱意をもってここまで歩んできた事実は、そしてこれから歩んでいく未来は変わらない。いつかこの期間の頑張りや熱意が美しい思い出になるように、今日も腐らずに頑張ろうと思う。



早くまたみんなで走りたい。



跳躍3年 諸田直樹