2019年12月17日火曜日

「すみません、合練には出れません。」

どうしてこうなるのだろうかと思った。
この2年間を振り返ってみて悉く怪我に悩まされてきた。周囲からは「不幸キャラだ不幸キャラ」だと口々に言われてきたがここまでくると本当に祟られてんじゃないかと思ってしまう。


医者の優しげに言う「結構かかりそうだね」という言葉が、ヘドロのように重く腹の奥底にこびり付き、酷く吐き気がした。いっそ辞めてしまえば楽になるのではないかとも考えた。ここまで報われないのなら、苦しい思いをするのなら無様に足掻く必要はあるのだろうかと。その日の夜、シーズンまでの時間と自分の復帰までの期間を何度も引き算してはまた来シーズンもダメなのではないかと思っては切なくて、やるせなくて、悔しくて眠れなかった。

悩んで、後悔して気づけたことがあった。どれだけ悔やんでも投げ出したくなっても、いやむしろそう考えれば考えるほど一層、陸上から離れてしまうことが嫌で嫌で仕方なくなったと言うことだ。どれ程辛くて苦しくても結局自分は陸上競技が好きだしこの東北大学陸上競技部が大切で仕方ないのだろう。そして全てを投げ出してこの不安だとか再発の恐怖から解き放たれることよりもずっとずっと遥かにずっと陸上から離れてしまうことの寂しさの方が大きいのだと思い知らされた。

サッカーの本田圭佑は不調で躓いた時にこのような言葉を残している。「挫折は過程、最後に成功すれば、挫折は過程に変わる。だから成功するまで諦めないだけ」
どんなに長い赤信号でも必ず青にかわるのである。厳しい冬にも春は来るのである。すぐにとはならないがトンカレ、七大戦で絶対に絶対に返り咲いてみせてやると思っている。

最後に、スケートの羽生結弦選手もオリンピックの3ヶ月前に同様に足首の靭帯を損傷したが見事その逆境を乗り越えて金メダルを獲得している。決して治らない怪我ではない。羽生選手のように、寧ろ自分と向き合いより高められる機会だと捉えたい。


とりあえず碩通とお祓いに行こうと思う。


跳躍二年 諸田直樹