2018年12月2日日曜日

こんばんは

 あたり一面をみどり一色に生い茂っていた草木も、いつのまにかその色を赤や黄色に変え、そしてその葉を散らしていき、家のドアを開けると寒さで身震いするような、仙台の冬がまた巡ってきたなあと感じる今日この頃です。
 陸上部もシーズンを終え、本格的に冬季練に移行したところですね。各パート各人シーズンとは打って変わってヘトヘトになるまで追い込んでいるのが印象的で、泥臭い冬季練の幕開けがこれでは1月2月はどうなるのだろう…なんて思ってしまいます。
 自分の話になり恐縮ですが、お陰様で僕は色んなパートの方々から色んなメニューや補強を誘っていただける機会に恵まれていて、冬季練に入ってからというもの今まで知らなかった色んな動きや追い込み方を学ばせていただきました。それと同時に自分で見つけてきた補強をしたりメニューのセットを増やしてみたりと、日々練習しシーズンよりボリュームは増えていると思います。
 しかし、同時にこれで正しいのか?という不安がずっとつきまとっていました。結果を試す機会もなく、例えるなら右も左も分からない真っ暗な中を見えない出口を求めて彷徨っているような気持ちで、答えも分からぬまま練習し結局何も競技につながらなかったらどうしようと焦ってばかりいた気がします。
 そんなある時ですが、ふと本を読んでいた時にこのような言葉を目にしました。
 『鯉の滝登り』ということわざをご存知でしょうか?目覚ましく立身出世するという状態を表す言葉で、その出典は「後漢書」党錮伝に遡ります。元々は、黄河を登りきり、龍門の滝と呼ばれる急流さえも登りきった鯉は龍に化けるという伝説から来ています。ご存知の通り、黄河は中国が誇る大河ではありますが、深く濁っており中には入れたものではありません。その中を登る鯉にとっては正に、右も左も分からないといった状況なのではないでしょうか。川では、休めば流されてしまいます。悩む暇も休む暇もない彼らは脇目も振らず夢中になって上流を目指していくのです。そして、無我夢中で進み続けた者だけが龍門を登り、龍に化ける、といった伝説です。
 話のスケールが大きくなりすぎましたが、僕らの冬季練にも多少なりとも通じる所があるのではないでしょうか。僕だけに限らずたくさんの方が今取り組んでいることが合っているのか不安になるし、こんな寒い中たまには休みたくもなると思います。しかし、無我夢中で取り組み続けることで見えてくるものもあると信じて取り組んで行くのもまた、面白いと思います。悩んだり不安に感じたりして立ち止まりたくもなりますが、それでは流されてまた振り出しに戻ってしまうような気もします。だからこそ、脇目も振らず進んでく事も大事なのだと気付かされました。

 前置きが長くなりましたが、今後も辛い練習があればいつでも誘ってください!皆さんと色んな練習が出来ることを楽しみにしています!
                                               投擲二年  嘉津山